”演技派女優”と呼ばれる人がいますが
二階堂ふみさんもその一人。
ヴェネツィアの映画祭で最優秀新人賞に
選ばれた演技力の二階堂さんは映画を
中心にして活躍しています。
彼女はどのようにデビューして今に至るのか。
学生時代の友達が二階堂さんの素顔を
明かしていました。
個性的な性格ばかり注目を浴びていますが
真面目です。子供の頃から活躍しているせいか
二階堂さんはとても大人びていました。
二階堂ふみの経歴を簡単にまとめた!
二階堂ふみさんは1994年9月21日生まれで
沖縄県出身。
デビューのきっかけは?
二階堂さんが芸能界デビューするきっかけは
事務所のスカウトでした。
二階堂さんが12歳の時に
行きつけだった古着屋さんで、
「フリーペーパーの”沖縄美少女図鑑”に載りませんか?」
と言われて承諾。
そのフリーペーパーを見た事務所の人が
沖縄までやってきたそうです。
当時の二階堂さんにとって
「事務所?何それ?」状態。
存在も知らないけど話を聞いたところ、
「楽しそう。わーい。じゃやる」
・・という感じだったいいます。
映画女優の道を進む
母親の影響で映画が好きになった二階堂さん。
小さい頃から劇場に連れて行ってもらって
映画を観ていたそうです。
事務所のスカウトに応じたのも興味本位のほかに
「もしかしたら映画に関われるかも・・」
という思いがあったからでした。
オーディションでヒロインに
選ばれて「ガマの油」で映画デビュー。
そして16歳の時に出演した映画「ヒミズ」。
ヴェネツィア映画祭で最優秀新人俳優賞を受賞しました。
その後毎年さまざまな映画に出演してます。
まさに映画女優。
大好きな映画に関わりたいという夢を
果たして邁進している最中ですね。
二階堂ふみの演技力!憑依型の天才タイプか?
二階堂さんは
自分の職業を「フリーター」というそうです。
”女優”と呼ぶには恥ずかしいとか。
二階堂さんが自分を女優だと呼べない
なんて言ったら他の人はどうなんだと思っちゃいますが
そこが彼女らしさでもあります。
現場スタッフの一人という意識
二階堂さんが女優だと呼べないのは
自分は映画の表現者・制作者なだけ。
映画を作る上で大道具・録音・照明などの各部門が
ありますがそれらと同等の俳優部門に所属しているだけ
という意識でいるそうです。
だからフリーター、いつ仕事がなくなっても
おかしくない人という意味で使っているのでしょう。
二階堂ふみは憑依型?
二階堂さんは言います。
「自分がその役に身体を貸しているだけ」
「役のキャラクターがわたしというからだや
声をつかっている」
役が憑依する感じなのでしょうか。
本人にしかわからない感覚ですね。
役柄が乗り移るような演技をするタイプに
能年玲奈さんがいます。
二階堂さんは身体を貸して演技しているだけなので
劇中に恋愛していてもカットの合図でガラリと切り替える事ができるとか。(引きずらない)
だからかもしれませんが、映画やドラマの
撮影がいくつも重なってハードスケジュールになっても
精神的に追い詰められることはないそうです。
映画に関わるのが好きだというのもありますが
二階堂さんの演技力の評判が高いゆえんも
そこら辺にあるのかもしれません。
二階堂ふみの学生時代!友達が明かした素顔とは
二階堂さんは中学までは沖縄と東京を
往復して仕事していましたが高校から上京しました。
高校時代の友達が二階堂さんについての
エピソードを明かしています。
親友なのに名前覚えられず・・
「かまってちゃん・・」
高校時代の友達。
二階堂さんが大好きなバンド神聖かまってちゃんの
話をしている同級生がいて気になって話しかけたら
親友になったそうです。
ただ二階堂さんは人の名前を覚えるのが苦手。
はなかなか親友の名前が覚えられず、
「かまってちゃん」としばらく呼んでいたとか。
親友なのに名前覚えられず・・2
高校最後に制服ディズニーに行った時。
買った人形に名前をつけたら偶然、親友の名前だったとか。
普段、名字で呼んでいたために
素で親友の名前だったとは気がつかなかったそうです。
二階堂ふみに怒られた話
二階堂さんと初めて遊んだ時に
牛丼屋へ行ったそうです。
友達がご飯を半分以上残したのを見て
すごい剣幕で怒られたと明かしていました。
二階堂さんは両親が食事に対して厳しかったからだと
告白しています。
彼女の評判を友達や俳優仲間に聞くと
”上品”と返ってくるそうです。
ご両親の教育がしっかりしていたんでしょうね。
二階堂ふみと仲良しだった先生のエピソード!
同級生だけでなく先生とも仲が良かった
二階堂ふみさんのエピソードを紹介します。
美術の先生をビンタ!
美術の先生はちょっと変わった先生で
よくうんちのオブジェを作っていました。
ある日うんこのオブジェを磨いていた先生が
「二階堂、この上にまたがってお前がしたようにして
写真撮るから」
と言われた二階堂さんはバーンと叩いたと
明かしていました。
先生も強烈ですが二階堂さんもすごいです。。
彼女は美術を選択していませんでしたが
仲が良く恋愛相談にものってもらっていたとか。
仲が良いが上のエピソードですね。
仕事で忙しい中で生徒会活動
映画を掛け持ちして忙しくしていた
二階堂さんですが生徒会活動をしていたそうです。
”校則を変えたい”というのが
始めた動機でした。その校則なんですが
「黒と紺以外のカーディガンはダメ」
という校則。自分が持っている
ピンクのカーディガンをどうしても着たかったとか。
不純な理由から始めた生徒会活動ですが
一応頑張ったそうです。。
意外ですが二階堂さんは中学まで
人と話すのが苦手でした。
しかし上京して高校に入ってから
色々な友達ができて自由にできたそうです。
自由な校風や友達に恵まれた高校生活は
地元沖縄より合っていたのかもしれません。
”面白い”を大事にする二階堂ふみの性格
二階堂さんは高校卒業後、1年仕事に専念しながらも
大学へ行くかどうか迷っていました。
「勉強したいことがあるし、卒業もしたい」
「とりあえず行ってみよう。とりあえずやってみてから!」
二階堂さんの性格がうかがえますね。
慶応大学へ入学後、テニスの王子様サークルに興味本位で
参加してしまうのも彼女が”面白い”というのを
大事にしているからかもしれません。
グラップラー刃牙を読む二階堂ふみ
二階堂さんは漫画好き。
20歳を迎えて漫画本を40冊大人買いした事も
あるそうです。
その漫画は格闘漫画の「グラップラー刃牙」で
”喫茶店で3時間位読んでいた”と告白していました。
高校時代、男子の同級生が多くて
彼らの影響を受けてどっぷりハマッたとか。
硬派な男性がタイプだという二階堂さん。
面白いと思ったらまず飛び込んでしまう所が
あるようです。
日本映画界についても考えている二階堂ふみさん
若い人にも観て欲しいとTwitterを始めたり
バラエティ番組「ゴチになります」に出演したりして
認知度を高めたりしています。
将来映画以上に面白い事ができて
フラッといなくなってしまう不安もありますが
彼女がどんな女優に成長するのか楽しみにしたいですね。
(トップ画像引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/bf/bd89624fe5777fe6d958029658831218.jpg)
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